実録
ライターの生活

喜怒哀楽の本屋がよい 

書籍や雑誌の仕事をするようになってから、本屋へ通う時間が増えた。
時間があるとき、本屋が目に入ると、とりあえず入ってみる。
そして、自分の本を探してしまうのだ。

もちろん、同じ本は家にあるから、目的は読むためではない。
そこに「ある」ことを確認したい。そこに、あって欲しいのだ。

発売されたばかりのときは、平積みになっているかもしれない、と期待しながら、書籍コーナーに一目散。すでに見慣れた表紙を探す。

よしよし、あったあった。そこでまずニヤリ。
綺麗な本を探すふりをして何冊残っているのか、数えてみたりする。
他の本の山と比べるとちょっと少ない気がする。
「お、売れたのかな?」とまたまたニヤリ。
しかしそこで現実に気づく。「いや、もともと配本が少ないのかも」。
思いついてしまった考えに、ちょっとへこむ。
ここは置き場所が悪いんじゃないか? もっと目に付くところに置いてくれよ。
ブツブツとつぶやく。本屋の事情などお構いなしで、理性の声もどこへやら。
本の山をかかえて、目立つところに置き直そうかと思ったりして。
いや、そんな挙動不審を行動をしてはまずい。本屋に嫌われては元も子もない。

我に返ったところで、とりあえず、本を手にして開くのだ。

いまさら読まなくても、中身はすでに頭の中にはいっている。もとより自分が書いたものだ。校正するときにだって飽きるほど見ている。見本が送られてきたときも、間違いがないか気になって、何度も開いてみているはずなのに。

それでも、また本を開く。パラパラとめくる。そのまましばし読みふけるフリをする。ほらほら、この本いかがでしょう。と、背中からオーラがでるように。横に並んでいる人がいれば、さりげなく背表紙を見せたりして。

一人サクラである。いじましいわりに大して効果はないが。でも、積まれるだけで誰にも手にされなかったら、本が浮かばれない気がするのだ。

そして名残惜しげに本を戻すふりをして、隣の山の上に乗せる(せこい)。
本屋にいくたび、そんなことを繰り返している。
平積みの時期が過ぎると、少々アセりながら目をさらにして棚を見渡す。片隅に一冊でもあることを期待して。まだ残っているよね。返本になってないよね。と祈りながら。

近頃は、あまりの本の多さに圧倒され、ちょっとだけ焦りや不安がかきたてられることも多くなった。

私の本は、誰かに気にとめてもらえるのだろうか。
誰か見つけてくれるだろうか。
人ごみに紛れて、迷子になっていないだろうか。
ちゃんと誰かの役に立っているだろうか。

巣立った子供を想う親の気分ってのは、こんなものかもしれない。


Menu
その2

その4
Home

泣く子と〆切 | トホホ | ライター講座 | いいヒト | 著作リスト | Profile | 歳時記 | 365Days | BBS | 情報LINK
ご意見、ご感想は web@kitayu.com まで
Copyright(C) 2001-2004 yukari kitayuguchi All Rights Reserved.
Go to Home