泣く子と
〆切にゃ勝てぬ

門前の小僧は、強力なライバルだった


 息子が小学校に入学してまもなくの話である。

 徹夜で仕上げた原稿をメールで送信して、少し寝ようかと布団に向かいかけたとき、けたたましく電話のベルが鳴った。あまりのタイミングの悪さにうんざりし、無視して寝ようとしたが、最大音量に設定した電話のベルには勝てるはずなどない。送ったばかりの原稿に関する連絡かも、と諦め半分で受話器を取った。
 案の定、漏れ聞えてくる声に覚えはなく、自分の行動を後悔しかけたのも束の間、相手が名乗った肩書きに凍りついた。なんと息子が通う小学校の校長先生だったのだ。

 わが息子は、両親に似てマイペースな性格で、一筋縄ではいかない。きっと二度や三度は学校から呼び出しがあるだろうから、そのときは交代で行こうね、とダンナと話し合ってはいたが、まさか入学早々校長先生に目をつけられるほどの大物だったとは。せめて何を言い出されても取り乱さないようにしようと、受話器を握り締めて身構えた。
 すると堅くなった気配を察したのか、電話の向こうの人物は少し笑ったような声で「実は、今度学校にパソコンを導入するので、相談に乗っていただけませんか」と優しく語り出すではないか。引いていた血の気が戻っていった。

 プログラマーとパソコンライターが、顔を突き合わせて自宅で仕事している。クラス懇談会で担任の先生にふと漏らした我が家の家庭事情が、校長先生の耳にも入ったらしい。相談ぐらいお安い御用ですが、突然の電話はカンベンしてください。校長先生。

 そんな心臓に悪い出来事から1年。全国の小学校で本格的なパソコン教育が検討され着々と導入されているが、現場の多くでは、教師も子供も手探りでパソコンと戯れているのが実状だという。子供たちの楽しそうな様子を想像しながら、初めてパソコンを手にした時の息子の姿を思い出した。

 パソコンが消耗品と化している我が家では、1年に1度の頻度で夫婦どちらかがパソコンを買い換える。酷使されたパソコンなど高く売れるはずもない。粗大ゴミと化すくらいならと、古いパソコンは幼い息子へ明け渡すことにしたのだ。

 まだ文字もろくに読めないのに、息子は新しい遊び道具に夢中になった。ぐるぐるとマウスを動かし、その動きに魅入る。ときどき、キーボードをバンバンと叩く。傍から見れば、危なっかしいことこの上ないが、それでも本人は楽しかったらしい。それもそのはず。目の前にあるのは、つい昨日まで母が一日の大半かじりついていて、興味津々で触ろうとすれば烈火のごとく怒られていた物体なのだ。予想通りの展開に親はほくそ笑み、心置きなく仕事部屋にこもった。

 少々姑息な思惑から与えはしたものの、手ほどきもせずに放任していたのだから、息子にとってパソコンはオモチャの一つのはずだった。小学校でもパソコンを使うのであれば、そろそろ本格的に教えてもいいかな、と思っていたくらいだ。しかし、門前の小僧は気付かぬうちに変貌を遂げていた。

 CDラジカセが壊れたのでCDが聴けなくなった、という義母のぼやきが漏れたのは、ある日の夕食の時間。つい「CDなら、パソコンでも聴けるよ」と即答してから自分の失敗に気付いた。義母は筋金入りの機械オンチなのだ。教えるには、かなり時間がかかってしまう。悪いことに締め切りは目前で、とても説明している時間はない。隣で箸を動かす夫に視線で助けを求めたら、すっと目を反らされてしまった。しかたなく、原稿が一段落する明日まで待ってもらうことでその場は切り抜けた。

 ところが。仕事部屋にこもる前に様子を伺うと、なんと息子が義母を横にはべらせて、自分のパソコンの使い方を手取り足取りレクチャーしているではないか。CDの聴き方だけでなく、得意げにお気に入りのソフトまで取り出して説明を始めている。なにより驚かされたのは、操作を説明する息子の口調だった。

「まず、この丸いボタンを押したら電源が入るから、しばらく待っててね。」
「この端っこにある×印に白い矢印を合わせて、マウスのこっち側のボタンを押すと、画面が消えるんだよ」

 その懇切丁寧でよどみない語り口にすっかり脱帽してしまった。長いこと初心者向けのパソコン解説記事を書いてきたが、自分の説明はまだ甘かったのかと、危機感まで抱いてしまったほどだ。

 まったく子供の好奇心は侮れない。いつの間にやら、おそろしく強力なライバルに育っていたなんて。
 あと数年して、キーボードの入力もきっちりマスターしたら、アシスタントにスカウトすることにしよう。とうとうと続く説明を聞きながら、心に誓う私だった。
「ビギナーズNETメールマガジン」第48号 2002/6/12号 掲載コラムを一部改稿

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