泣く子と
〆切にゃ勝てぬ

見えない時間が見せてくれたもの


親の目から見ても、わが息子は甘ったれだ。小学生になった今でも、すきをみてはまとわりつき、ヒザの上によじ登っては身体をどっかりと預けてくる。まるで母を座椅子がわりにしているかのようだ。

 「こら。重たいゾ」と声をかけると、ハッと振り返り、重大な秘密を打ち明けるかのように耳にぴったりと口を寄せて、「あのね、あのね」と話し出す。
 話がそこから進まないのは、ボキャブラリが足りないだけでなく、くっついている時間を少しでも引き伸ばそうとしているからだろう。耳のすぐそばで、勢い込んだ息づかいだけが聞こえて、こそばゆい。思わず「そりゃ、イタズラ電話のマネかいな?」とツッコミたくなるのを必死でこらえていると、ようやく次の言葉がこぼれてきて、周囲にもまる聞こえのナイショ話が始まる。

 そんな他愛もないひとときが、私と息子の大切なコミュニケーションタイムだ。時間にすれば、1日にほんの数分たらずだけれど。

 フリーランスというスタイルで働く私は、時間を自由に使えるのをいいことに、見事なまでの仕事づけの日々を過ごしている。「ワーカホリック」という周囲の声もどこ吹く風。1日の大半はパソコンと格闘しながら、言葉をひねり出している。〆切前の営業時間は、コンビニとたいして変わらない。ともかく好きなのだ、この仕事が。

 ただ、ときどき無性に身体が2つ欲しくなることがある。仕事は辞めたくないけれど、自分が見ていないとき、息子はどんな顔をしているのか知りたい思いにかられるのだ。

 正直に言えば、自分の生活を省みて「これでいいのか」と自問してみたことはある。子どもが生まれてからはとくに、「かわいい盛りの一日一日を、見逃すのはもったいない」という焦りに似た気持ちが心の奥でトゲのように引っかかっている。目を離している間に、気持ちまで離れていくような気がすることもある。

 だから、親子でじゃれついている時間に、つい聞いてしまうのだ。
「ねぇ。おかあさんのこと、好き?」
 すでに何度も繰り返した問いだけれど、答えが変わらないことを確かめたくなる。母の願いを裏切ることなく、息子はいつものように満面の笑みを浮かべて「うん、大好き!」と答えてくれた。
 その力強い言葉が、母の心をかすめる罪悪感を吹き飛ばし、みなぎるパワーの源になっていることを本人は気づいているのだろうか。

 気を良くしたところで欲がでて、もう一つ聞いてみたくなった。
「じゃあ、おかあさんはキレイ?」
「ううん。おかあさんはキレイじゃないよ」
 今度も即答されてしまった。そのあまりに無邪気な残酷さにがく然としていると、息子はこう付け加えたのだ。
「おかあさんはね。カワイイの」

 もともとそう大きくもない私の目は、すっかり点になっていた。
 おいおい。そんな殺し文句を、いったいいつの間に覚えたのだ?! 

 息子の成長のスピードは、母の想像力をはるかに超えていたようだ。その姿を、刺激的なまでの驚きとともに新鮮に味わえるのは、日ごろ「見えない時間」があるからかもしれない。
 「会えない時間が愛育てるのさ」という旧い流行歌の歌詞をふと思い出しながら、私はそっと微笑んだ。

 身勝手な母の右往左往は、まだしばらく続きそうだ。

「赤ちゃんとママ」誌 2001/6 掲載コラムを一部改稿

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